カメとのレースに負けた、慢心のウサギ。
そんなウサギは従来型の命令・指示・お説教では動きません。
どうすればウサギのやる気を引き出し、
能力を高めることができるのでしょうか?
人の話を聞かないウサギに話を聞かせるには?
反抗的なウサギとコミュニケーションをとるには?
ぼーっとしていて何もしないウサギを育てるには?
コーチングの第一人者による、目からウロコの人材育成術!
ウサギはウサギの理屈でしか
動かない。動くのは自分の理屈に合ったとき。
決めたのはあくまでもウサギ
人は人の理屈で動きます。
ウサギはウサギの理屈で動いています。
正論で言ったら動く、自分のほうが経験があるのだから動く、なんて幻想です。
押したって、引いたって、せっついたってウサギは動かない。
「自分がしてもらってうれしいことを、他人にもしなさい」
これって、なるほどと思うけど、実際のところ使えません。
あるウサギは頭をなでてもらって、誉められるのがうれしいけど、
あるウサギにとっては迷惑なんですから。
自分がしてもらってうれしかったことをウサギにするときは、
パーミッション(許可)が要ります。
「僕は頭をなでてもらってうれしかったけど、君はどう?」
「頭はプライドが傷つくから、やめてくれ」
ウサギは自分のやりたいことをやる。私が望んだことをやるわけではない。
私が要求してウサギが行動を起こすのは、
ウサギが私の言うことを聞き入れたからではなく、
ウサギの理屈に合っているからにほかならない。
決めたのはあくまでもウサギなんです。
ウサギが行動を起こすときは、ウサギの理屈があります。
間違っても、常識や格言なんかでウサギを動かそうとしないことです。
くれぐれもこちらの理屈を押しつけないこと。
「レタス好き?」
「好き」
「マヨネーズつける?」
「つけない」
「どうして?レタスにはマヨネーズだよ」
「アホが!」
ウサギはいつ安心
しているんでしょうか
ウサギはニンジンからエネルギーを得ます。
人間は、よい人間関係をエネルギー源にしています。
人間関係に支えられた安心感というものがベースにあるんです。
人との深い関係があれば、
常に自分が支えられているという実感を持つことができます。
おじいちゃん、おばあちゃんに育てられた子は三文安いというけれど、
二五~二六歳になると、三文安いはずの子供は大人になって、
言われのない万能感を示すと言われています。
「そんなの無謀じゃない?」
「そうかもしれない」
「うまくいくの?」
「いくと思うよ」
「根拠は?」
「ない。そう思うんだ」
無条件に愛された経験を持つと、失敗したときや挫折したときにでも、
自分は支えられているという経験に本当に支えられているのでしょう。
明るい人と暗い人がいるとすれば、
明るい人というのは、自分は無条件に愛されていると思っている人のことですね。
暗い人とは、人に認められない限り自分には価値がないと思い込んでいる人のこと。
そういう条件づけから抜け出せないのかもしれません。
おじいちゃん、おばあちゃんと暮らさなかったら駄目だという話ではありません。
今ここで心の許せる人間関係を築くことができれば、
同じ効果をもたらすことになります。
いい人間関係を築くことは、深い安心感をもたらすことになるでしょう。
安心感は、人が行動を起こす原動力です。
仕事の九〇パーセント以上は人間関係によって作られます。
人間関係はどんなときでもコーチングのテーマになっています。
そのくらい難しい。
自慢話では、
ウサギ君、モテないよ。
相手の魅力を引き出す会話をしよう
自慢話って、
結局自分がいかに立派なのかを相手に承認させるためにするわけです。
まあ、お説教なんかも背景に
「私は知っている」とか「立派な人」なんていうのがあるものです。
その昔から、デートすると、男は当然自慢話をします。
頭のよさ。
大胆な性格。
度量の大きさ。
友達からの信頼。
スパイスのように、失敗談を入れる。これももちろん自慢話。
自分の身の不幸なんかも話す。
ガールフレンドにとうとうと話して、そして最後には
「彼ってとっても頭がよくて、素晴らしい人だ」と思わせることに成功する。
それがモテることだと思っているんです。
自慢話から自由なウサギは少し違う会話を創ります。
自分が話すよりは、ガールフレンドに話してもらう。
学生のころ、子供のころ、職場のこと、それから友達のこと。
たとえたった一人しかいないとしても、人数で判断したりはしないでしょう。
きっと、その友達のことについて聞かせてほしいと思います。
「その友達のどういうところに魅力を感じている?」
「あるときね、遅刻したんです。それも二時間も」
「それで?」
「きっと怒って帰ってしまったんだと思って、でも待ち合わせ場所まで行ったんです。
そしたら友達は待っていてくれ、それもニコニコしているんです」
「怒っていなかったの?」
「そう。だから『帰ったと思ったのに』って言ったら、友達はこう言ったんです」
「なんて?」
「あなたが遅れるのにはきっと理由があるって思ったし、
あなたは遅れても来るって思ったから。そう言うんです」
「そう」
「そうなんです」
「君にはとても素晴らしい友達がいるんだね」
どんな話を聞いても、魅力を見つけ、魅力を引き出そうとするでしょう。
その結果、ガールフレンドはこう思います。
「私はとても魅力的な女性なんだ」と。
ウサギ君、いいですね。賢いふりをしてもモテません。
「君のこと好きだよ」
たった一つの命令や情報だけでは、
ウサギは行動を起こさない
「君のこと好きだ、理由なんかないけど君のことが大好きだ」
「一緒にいられてとてもうれしい」
「君がいるっていうだけで、今日も生きている張り合いがある」
「僕の子供として生まれてきてくれてありがとうね」
「君の全部が好きだ、全部だ」
今さらこんなこと言わなくても。てれちゃう。
でも今これを伝える勇気を持たないと、失うものが多すぎます。
たった一つの命令や情報だけでは、
ウサギも人も行動を起こさないことが分かってきました。
「勉強しろ、お前のためだ」
「仕事頑張れ」
「明日までにこの企画書仕上げてくれ、仕事なんだから」
こういう期待や要望を一方的に発信していると、
人を動かすどころか、むしろ動けなくしてしまいます。
人間の細胞もコミュニケーションを交わしていますが、
たった一つの命令や情報を与えられると、
細胞はショックで活動を停止してしまいます。
人間であれば、足がすくんでしまった状態。
頭では動こうと思いながらも、体が動かない。
ところが細胞に情報を伝達するとき、たった一つの情報(命令や要求)だけでなく、
別のメッセージ、セカンドシグナルを送ることで、
最初の情報を伝達することができることが分かってきました。
つまり人で言えば、ふだんから君のことが好きだというメッセージ
(セカンドシグナル)を送っている限りにおいて、
「勉強しろ」「企画書作れ」が伝わり、受け取られるということです。
しょっちゅう「好きだ」「大切な人だ」「大好きだ」を伝えて、
自分が味方であり好意を持っていることを伝えていてはじめて、
いくつかの要求が聞き届けられるということです。
私の友達で、子供に、
「いやあ、僕を親として選んで生まれてきてくれてありがとう」
と言っている親がいます。
私も自分の息子に言ってみました。
「僕のことを父親として選んでくれてありがとう」
最初とても喜んでくれたので、何度も言っているうちに子供に言われました。
「そういうことは何度も言わなくていいんだよ!」
違うの考えなくちゃ。
小さいことだから気にする。
小さいことだからこだわる。
そういうものなのです
人に向かって「小さいこと、気にするなよ」とか
「小さいことにこだわるなよ」なんて言ってはいけません。
人は大きなことはやり過ごせますが、小さなことはやり過ごせない傾向があります。
ウサギが気にしないようなことを、人間はずっと気にします。
だれかにお金を貸したとして、それが大きな金額、
例えば一〇〇万円なら返済を迫れるものです。
ところが一〇〇円では「返して」というのが難しくなります。
「返してほしい」と言うのに一〇〇円以上のエネルギーを使うことだけは確かです。
もちろん気楽に返済を要求できる人もいるでしょうが、
そんな人もまたほかの小さなことで、言いたいことが言えないでいるかもしれません。
ラーメンを二人で分けて食べていたら、相手がさっとチャーシューを食べてしまった。
そのことを思い出すと心が乱れる。とか……。
だれしも、自分がそんなに小さいことにこだわる人間だとは思われたくはありません。
どちらかといえば鷹揚で、気前がいいと思いたいし、思われたい。
裏返せばそういう人こそが、人から「好かれる」と信じていますから。
しかし実際には、一〇〇円にもチャーシューにもこだわってしまいます。
だれかのちょっとしたひとことや、身ぶり、目付きなどに影響されています。
子供は食べ物の大きさにこだわります。
私は大人だから、そういうことからは解放されていると思っていましたが、
皿に盛られた果物を子供と二人で食べていると、
知らず知らずのうちにフォークを出すスピードに加速がつきます。
子供は大胆にも皿と私のあいだに割って入って、私が手を出しにくくします。
「おまえは一人っ子で、だれとも競争しなくていいんだから、そんな意地悪しないで」
と言いながらも、私は頭の中で子供が食べた数を数えているのでした。
小さいことにこだわっているのが現実です。
確かに、理想のあなたや私からはかけはなれていますが、
私たちがつきあう「自分」とは、そっちのほうにちがいありません。
理想を追うのは自由ですが、理想に近づくことはあっても、
理想通りにはならないでしょう。
私たちは、小さいことにこだわって生きています。
理由はさておいて、そうなのです。
深刻な問題を抱えているような顔をしている人がいますが、
たいてい始まりはチャーシューなんだ。
だから、小さなことでも大事に聞いたほうがいい。
勝手に、たいしたことない、なんて判断しては駄目なんです。